実家の家がなくなる日
10月15日はある意味、僕の人生にとって一つの悲しい日になるかもしれない。
10月14日、父と母が住んでいた家に行って来た。
父が死んでからは一度も行っていなかったので、3年ぶりになるだろうか。
先月、父と母が住んでいた家を壊してもいいかと、母屋の主から電話があった。
その家は、兄が老後に住むつもりだと聞いていたのだが、兄に連絡が取れないという。
その家について、自分は父からも兄からも何も聞かされていないので、判断のしようがない。その場は兄に連絡を取ってみるということで、ひとまず電話を切った。
兄に連絡を取ってみたが、反応がなかった。
ずい分と長い間、兄とも連絡をとっていなかった。調べてみたところ、もう2年も連絡を取っていなかった。
自分の仕事がかなり忙しく、休日が取れない日が続いていたので、14日は久しぶりの休日を使って、車で行ってきたのだ。
行ってみると、家の様子が明らかにおかしいことが分かった。家の中はすでに何のかもが残っていない状態だったのだ!
見てすぐに分かった。ああ、もう実家の家具一切は、勝手に捨てられてしまったのだ。父の、母の、思い出の詰まった家は、家具は、そして写真のなにもかも、もうこの世の中には何も残っていないのだった。
念のため家の中に入って、中の様子を確認し、写真に収めた。これがかつて父と母が住んでいた家の成れの果てなのだ。
外に出て、おそらくこの行為を行ったであろう、母屋の主の家に行った。
中でいろいろ話を聞いたが、それだけだ。
悪気はない。そればかりか、自分達の権利を行使しただけだと思っている母屋の主には、特にかける言葉もなかった。体裁を取り繕うためだけに、とりあえず非礼を詫びておいた。
一点だけ驚いたのは、父と母の家だと思っていたその家は、父の名前で登記がされておらず、相変わらず母屋の主の息子の名義になっていたことだ。
いったいどういうことなのだろう?
自分の中で、解決できない思いだけが渦巻いていた。
父の名前で登記がされていない家は、誰のものなのか?
父のものではなかったということなのだろうか?
そういうことならば、この家にはわずかな思い出は残っているが、元々父や母の家ではないということだ。
そういう家ならば、なくなってしまっても仕方がないことだと理解した。
最後に、父と母の家が取り壊される前に、表札を持ち帰ることができたのが、この日にこの家に行くことができた、唯一の救いとなった。
さらば!思い出の地よ。もう行くことはないだろう。
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